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ブラジル・パンタナール便り・・・・
カテゴリ:パンタナール 森の生活( 2 )

2011年 03月 01日
パンタナール 森の生活 その弐
                  パンタナールを所有するブラジル、マット・グロッソ州は南米大陸のほぼ中央に位置する。
                  北海道的に言えば、州都のクイアバは地理的に「南米のへそ、富良野」に値する。
                  しかし、パンタナールには「へそ饅頭」はない。
 
                  クイアバから西200kmのところにパンタナールを縦断する主要河川であるパラグアイ川がある。
                  その辺にある町が人口7万人程度のカーセレスと呼ばれる町。この町から直線で500kmばかり南下すると南パンタナールを代表する町コルンバがある。
                  この間のパラグアイ川に流れ込む河川の標高120m以下の低地帯がブラジルパンタナールで約15万平方キロメートルと言われている。

                  僕が1年半、森の生活をしたバハンキーニョホテルへのアクセスは水路と陸路の二通りある。
                  雨期の11~4月は水路のみでカーセレスの船着場から25馬力(時 速40~50km)船外機付アルミボートで2時間かかる。
                  パラグアイ川を1時間半下り、その支流のジャウルー川を30分上る。ただし、この時間は本流から 反れた雨期のみに通れる近道を使用した最短距離の場合。
                  しかし、近道を使わずひたすら蛇行を続けながら本流を下ると2時間半以上かかる。
                  乾期はサバンナ林と草原で形成される牧場を通りながらラリーに使えそうな砂地を2時間ばかり走り続ける。
                  道路と呼ばれるほどの大層なものはない。草原にわだちがあるのみで、道の状態の良し悪しで各自新しい道を作るので道が何本もある。
                  誰が来ても分かる一本道ではない。当然標識などもない。また、牧場を通過 する時には必ず柵や門を開閉しなければならず、
                  その作業に時間を取られる。一人で運転する時は14個の柵を開け閉めしないといけない・・・・。

                  僕は個人的には水路が好きだった。それは水路を完全に熟知してからの話だが・・・・。
                  1993年の3月に僕はこの場所に来て、1ヶ月間管理人夫妻と共同生活を送った。
                  ホテル業の細かい仕事や周辺住民達との顔つなぎなど、森の生活をする為の最低限の引継ぎをする為にだ。
                  まず、始めにやらなければならなかったことが、町からホテルまでの道を覚えること。
                  3月は雨期の終わりでパンタナールの水位一番高く季節的は満水期にあたる。
                  アマゾン川などは雨期と乾期の水位差が10mとかはざらにあるが、パンタナール はそれほど無く最高でも2m程度。
                  河川の水が森林や草原に氾濫してあらゆる所が侵入可能になる。水路は無限に広がるが、その水路の下には何があって、
                  どこ につながっているかを把握していなければ、その無限さが有効に使えない。
                  浸水林地帯は流木や倒木などが多い為、細心の注意を払わないといけない。パラグアイ川は、川幅は広いが川床は浅く、
                  乾期になると所々に遠浅の砂浜ができる。その場所を把握してないと一見深そうな場所も実は浅くボートで突っ込むと乗り上
                  げて船外機を壊してしまう恐れがある。
                  始めの頃は川辺林がどこも同じように見えて区別がつかないので、慣れた従業員に運転させて僕は船首でじっくりと水面と景色
                  を見比べ、カーブ一つ一つを数えてノートにその景色の特徴をチェックしていた。それでも近道の水路入口を間違い迷うことも何度もあった。

                  午後の町での買物が手間取り船着場を出るのがほぼ夕方になり、途中で暗くなり近道水路を間違えて大きな河川湖に入ってしまい、
                  迷いに迷いどうにも出られず 諦めて岸辺にボートを付けて夜を過ごしたこともあった。新月で光が全くない星空の日は、水面に輝く星と本物
                  の星空が混同して危うく川辺林ぶつかりそうに なったり、水面の水草群に何度も突っ込んだりもした。
                  乾期は乾期で気をつけなければならないこともある。遠浅の砂浜や座礁した流木を用心しないといけない。
                  特に流木が水面ギリギリにしか突出していない所が要 注意だ。わずかな水面のさざなみの変化に気をつけながらボートを操縦するのは至難の業である。
                  また昼間の直射日光はとても強く、水面の反射光で目を傷める 為、サングラスは必需品となる。
                  大河のボート操縦は臆病になることがコツ。僅かな自然の変化と船外機のモーター音に細心の注意を払う。
                  少しの油断が災いを呼ぶから恐ろしい。車の運転は周 りを防御されており、多少の衝突にはびくともしないが、ボートは無防備で接触事故で
                  水中に落ちたらピラニアの餌食になるおそれがある。ま、大量の血を流さ ない限りそうは襲われることはないが。
                  一番まずい対応はパニックになること。人が混乱して水面をバチャバチャ立てる音がピラニアを呼ぶ。
                  危険が一杯の大河のボート操縦だが、それも慣れると車による陸路の移動よりも数段楽で楽しいのも確か。
                  大きな揺れもないし、大河を波切って走行する爽快感がなんともいえなく心地よい。

                  水の世界を独り占めした気分になれる。


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by pantanalinbrazil | 2011-03-01 11:01 | パンタナール 森の生活
2010年 06月 18日
森の生活 はじめ ~パンタナールの川辺にて~
はじめに・・・・・


今年でパンタナール初訪問日から数えて18年目を迎えた。

ブラジルに渡って1年目、1992年の11月に観光客として訪問して一目惚れして、93年の3月からパンタナールの最北限の川辺で約2年間生活をした。

そこは観光ロッジでオーナーはサンパウロの某日系旅行社で日本人観光客の団体がよく来ていた。

そのロッジの目玉は数あるパンタナールのロッジでも日本人が日本語で応対してくれて食事は日本食風に出されるというところだった。

そのロッジに長年働いた日系人ご夫妻が引退することになり、私は管理人補佐ということで入ったが結局6ヵ月後には新しい管理人はサンパウロへ戻り、私が責任者としてロッジを運営することになった。

従業員は田舎町カーセレス出身の少年ジョアンとジョゼー、おっさんのファビオとダニエル、そしてロッジの目の前に流れる川、大河パラグアイ川の支流ジャウルー川の畔で生まれ育ったルイースとその姉妹マリーアとコンセイソンの7人。

日常会話はすべてポルトガル語、それも田舎のボリビアスペイン語風なまりの田舎言葉。ブラジル2年目の私はろくにポルトガル語は話せず、彼らの言葉も聞きづらく、私の言っていることも良く理解してもらえないと・・・・悪いことづくめ・・・・・もともと田舎の大人しい人達だから口数も少なく会話もほとんどなかった。最初のこの頃は・・・・日本語を話すのは観光客が来る時のみ。

毎日が驚きとあきらめの連続・・・・・自分一人の時間とういうものをたくさんもてた。

これでもかと本を読み、思索し、自己を振り返り、性格を変えた・・・・

そして森を歩いて、川で糸を垂らし、たくさんの動物達と遭遇した・・・・・

この生活が今の自分の基礎を作ったといっても過言ではない・・・・・

しかし、そろそろ、その頃の記憶がうっすらと消えつつある・・・・・

この2年間の生活を経て、色々寄り道をしながら、現在もこうしてパンタナールと関っている。

昔の思い出を忘れない内にどこかに残しておくのもいいかなと。

それをこのブログを通して昔の写真と日記を見つつ、ここに「パンタナールの森の生活」として記していきたいと思っている・・・・・どこまで続くか分からないが?

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本文ここから------------------------------------------------

1993年3月、ブラジル北部ベレーン市郊外85kmの農園から旅が始まった。

ポルトガル語もろくに話せない世間知らずの22歳の俺は、一年間の熱帯果樹栽培の農園生活に別れを告げ、3200km離れたパンタナールへ向かった。

長距離バスを3つ乗り継ぎ、三日かけて着いた町はブラジル中西部マット・グロッソ州カーセレス。パンタナールを形成する主要河川、パラグアイ川上流に隣接する人口7万人ほどの田舎町。ボリビア国境までわずか100kmの辺境の地。
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小さなバスターミナルは旅立つ人達で賑わっていた。バスから降りて、冷たい水で喉を潤していると後から聞きなれた母国語で声がかかる。

「あなた、Nさん、長旅おつかれさま・・・・。」

と流暢な日本語で話しかけてくる白髪の日系人男性Kさんがそこにいた。

お互い日本語で簡単な挨拶を済ませ、二人でタクシーに乗り込む。バスターミナルから 5分程度でパラグアイ川ほとりの船着場に着いた。
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Kさんは船着場の連中にポルトガル語で俺を紹介し始め、労働者諸君は、そのまま8mの頼りないアルミボー トに大量の荷物を積み込み始めた。

「Nさん、バハンキーニョ(小屋)まではこのボートで3時間くらいかかるからね。途中、止まらないからトイレだけは済ませといて・・・・ま、男だからもようしたら船からすればいいし・・・・そろそろ荷物の積み上げも終わるから出ようか。」

「え、3時間もかかるんですか??2時間かからないと聞いていましたが・・・・。」

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「それは空のボートでの時間で、これだけ荷物積んだら時間はかかります。途中のショートカットが倒木で通れなくなれば、もっとかかるよ。」

とKさんは平然と説明してくれた。ま、ここまでくれば1、2時間の差もあまり意味がないように思えた。

Kさんはボート最後尾の40馬力船外機のハンドルをにぎり、たくみに操作しタバコを吹かしながら飄々としている。頼りない木の葉のような小さなボートは 大河に吐き出され、俺は眼前に広がるパラグアイ川を眺め、荷物に埋もれながら「凄いところに来たな~~。」とただ驚愕し、「思えば遠くに来たもんだ~」を 口ずさんだ。
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船着場を出たのが夕方4時過ぎ、時間は刻々と流れていく。抜けるような青空はいつのまにかオレンジ色に染まり、ボートは爆音を撒き散らしながら鏡のような 水面を走り続ける。

3月のパンタナールは雨期の終わり、パラグアイ川の水位は最高で本流の水は支流や川辺林に氾濫し、いくつもの水路ができる。Kさんはその同じような水路を選びながら森を縫うようにボートを進めていく。

行けども行けども水の世界・・・・途中の水路が倒木の枝で塞がれて通れない。Kさんはおもむろに刃渡り80cmの山刀を俺に差し出し、
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「Nさん、その枝なぎ倒してくれる?」

「あ、これですか?全部倒していいですか?」

「出来るんだったらやって・・・・。」

「このおやじ、俺を試してやがる・・・・俺はアマゾンの森で一年間、斧と山刀を使って雑木伐採を全部手作業してきたんだよ、この程度はどうってことないのさ・・・・」

と心のつぶやきは全く出さずに、あくまでも素人のようにお上品に枝をはらう。

「Nさん、上手じゃない。どこで覚えたの?」

など馬鹿にしたような口調でお褒めの言葉をいただき、難なく水路を通過しパラグアイ川を2時間ばかり下り、ようやく支流のジャウルー川に入る。

川幅は急に 狭くなり蛇行が激しい。薄暗い中をおやじは慎重に運転していく。支流を遡ること約一時間、前方に灯りが見え始め、ボートは速度を落とした。もうあたりは 真っ暗、漆黒の闇夜である。
 
そして、一言心の中で呟いた。

「おいおい、これからこの道を一人で運転するのか?!」
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by pantanalinbrazil | 2010-06-18 11:56 | パンタナール 森の生活